博多座で龍笛!

明後日は地元、太宰府の梅囃子隊のメンバーとして博多座で演奏してきます。年末で多忙な時期でもありますので引き受けようかどうかギリギリまで迷っておりましたが何事も経験、ということで頑張ろうと決めた次第であります。

太宰府で生まれ育ったものには40歳と60歳が特別な年となります。かつての学友たちと再会し観世音寺から太宰府天満宮までお持ちを配りながら厄を落としながら街頭でお酒や食べ物をふるまわれながらへべれけになって参道まで練り歩きます。そして牛に引いてもらった梅の木をみんなで境内に植えるんですよね。それは同級生みんなの梅の木として太宰府天満宮に根付きます。その時にみんなに花を添えるべく三味線と笛と太鼓と鉦で演奏するのが太宰府梅囃子隊になります。

私の専門は龍笛ですので、本来はお三味線と合わせるのは篠笛になりますが楽曲によっては龍笛との相性が良いものがあるので吹き分けています。私は幼少期から横笛を吹いておりますが太宰府で教わったわけではなく鼓笛隊でファイフという横笛を習いに行っていました。まだ5歳の頃でした。物心ついたときから音楽が身近にありました。今思えばそんな環境で育ててくれた両親に感謝しております。家には箏に三味線に鼓に拍子木、太鼓に鉦、胡弓にギター、リコーダーに舞踊、なんでもできる環境がありました。週に3回は剣道も習っていて今思えば「The太宰府」な男に育ってしまいました。花柳流の師範で太宰府小学校の祖母でもあり、晩年は太宰府天満宮幼稚園の先生だった祖母、鬼木絹子に溺愛されたことも3歳の私に大きな影響を与えてくれました。

私の名前は「ごう」と読みますが幼い頃から「豪傑!豪傑!(ごうけつごうけつ!)」と笑顔で抱きしめてくれた祖母の笑顔が忘れられません。きっと今の私のように自由に好きなことだけで生きていけるようおまじないをかけてくれたのでしょう。

おばあちやんの魔法に感謝。

私の娘の顔は、鬼木絹子ばあちゃんの生き写しのようです。

自由の代償として若いうちは大きな犠牲を伴うものですが何か大きなものを手に入れようとしたならば何かを捨てねばなりません。好きなことばかりして嫌いなことから逃げていたらいつまでも不自由なままだと思いいます。人生はプラスマイナスゼロ。祖母との別れが私を強くしてくれました。亡き父や祖父との別れが私を強くしてくれました。すべてを肥やしにして大きく羽ばたくとしましょう。

●写真は巫女舞を舞う娘