体力勝負

コロナはあと2週間で制圧できるでしょうか?休業自粛を繰り返す中で体力のない会社や事業主は破綻するもの続出でしょう。文化はいったん破壊されると再構築することは困難であることを応仁の乱は示しています。600年前の雅楽と現在の雅楽は果たしてどれだけ違うのか。クラシックにしても同じです。まず大型のホールなどが破綻し、演奏家は披露する場所を失い、また演奏を聴きに行く人も減るでしょう。今までのようなビジネスモデルが通用しない。子供のスポーツ教室も同じです。剣道や柔道、相撲に至るまでお稽古に通わせたいと思う親がどれだけいるでしょうか。オリンピックも開催されず、中体連すら中止になり、学校にすら通えない子供たちであふれているのに。

芸能人たちも感染し、体力のあるスポーツ選手まで感染し、妊娠した母親や胎児まで感染する世の中でステイホーム言われてもねえ。絶望しかありませんよ。失職した者たちが自治体に生活保護を求め始めるでしょう。家で親や子に暴力をふるわれている人たちが殺しあう事件も増えています。福岡では雇止めを食らったうなぎ屋の従業員が店主の娘を人質に立てこもる始末。コロナは中国武漢ではすでに昨年11月から発生していたとか。初動が遅れた中国にも責任がありますが、春節の中国人を多数受け入れた我が国の危機管理能力の低さに唖然とします。なぜ国は国民に謝らないのでしょうか。マスク2枚と10万円?足りるわけがない。

残されるは破壊された文化と荒れた人心ですよ。子供たちはこれからも引き続き頻発するであろうパンデミックに左右されない職種を目指してほしいですね。官僚?医師?南の国に住む人?学校に通わずとも、会社員にならずとも食えるお仕事。通販しながら自給自足もありかな。下手に商業組合に入ると連帯で閉店の憂き目に遭う可能性も高いので、再再現にリスク回避を考えながら職業の選択をする道を子々孫々に伝えねばと考えています。元のような社会に戻るまで、最低10年はかかるでしょう。コロナが過ぎ去ってもまた違う形で世界は変わります。それが偶発的なものではなく、「バイオテロ」である可能性を我々大人はいつも念頭に置いておく必要があります。常に最悪の事態を想定して動くこと。学校の教員はもはや必要なくなる時代がやってきました。3密の学校は危険すぎます。今こそ「家庭という学校」を見直さねばなりません。他社に教育を依存するのではなく、親自らが育てる努力をすること。時代に突き付けられた課題はあまりに大きいですね。寺社仏閣に人も集まらないわけですから、雅楽は人様に見せるものではなく、神仏と神職が対峙するときのみ演奏されるか、もしくは親子の中でひっそり受け継がれる神技になるのやもしれません。ウイルスに翻弄される世界。結末や如何に。